今日は何の日? 記念日を掘り下げてみる。

単なる語呂合わせだったり、深~い意味があったり。掘り下げてみると面白い♪

5月18日 ― 阿部 定〔あべ・さだ〕事件

 

阿部 定〔あべ・さだ〕事件

1936年5月18日(昭和11年5月18日)

 

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事件前の阿部 定。とても上品で美しい。見かけにダマされる気持ちも分かるような・・・。

 

目次

 

 

 

阿部 定の誕生

 

明治38年5月28日。

東京市神田区新銀町(現在の千代田区神田多町)生まれ。江戸時代から続く裕福な畳屋『相模屋』に、8人きょうだいの末娘として生まれた。出生時は仮死状態であったという。

 

母親は彼女に就学前から三味線などを習わせた。近所でも評判の美少女であったため、自慢の娘であったのだろう、父母は習い事のたびに新しい着物を着せるなど、猫かわいがりした。このころから見栄っ張りで高慢な性格が形成されていったようだ。

 

 

阿部 定の初体験

 

高等学校を自主退学した15歳(満14歳)のとき、遊びに行った友達の家で慶応大学の学生とふざけあっているうち、強姦されてしまった。彼女の初体験であった。

 

このときから、『嫁にも行けない体になってしまった』と自暴自棄になり、家の金を持ち出しては非行少年らと浅草界隈で遊び回るようになる。ちなみに、不良仲間とは肉体関係を持ってはいなかった。

 

三女の縁談が決まると、体面を保つため、女中奉公に出されたが、屋敷の娘の着物などを盗んで警察の厄介になりクビ、これに怒った父親は自宅で約1年間、監禁同様の生活を強いた。

 

 

阿部 定、芸妓の道へ

 

その後、彼女は男遊びを繰り返す。

 

見かねた父親が「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ!」と、彼女を店に売る。17歳のときであった。

 

神奈川県横浜市住吉町(現在の横浜市中区住吉町)の芸妓屋『春新美濃〔はじみの〕』に入る。契約金は当時のお金で300円であった。ここでは源氏名『みやこ』を名乗る。

 

こうして18歳から風俗業に入り、26歳で遊郭を脱走するまで富山・大阪・名古屋などの遊郭を渡り歩いた。

 

 

吉田吉蔵との出会い

 

昭和11年2月。

当時32歳(満31歳)であった阿部定は、東京市中野区の鰻料理店『吉田屋』に女中として勤め始める。

 

『田中かよ』と偽名を使っていた彼女は、この吉田屋の主人・吉蔵(42歳)に一目惚れし、すぐに関係を持つようになる。吉蔵の妻の目を盗んで情事を繰り返していたが、あるとき他の女中に見られ、その女中から話を聴いて激怒した吉蔵の妻に、2人とも追い出されてしまう。昭和11年4月、勤め始めてわずか2か月後のことであった。

 

2人は旅館を転々とした。3週間以上も床を敷きっ放しにして、昼となく夜となく体を求め合っていた。

 

 

犯行心理へ~肉切り包丁を買う~事件前日

 

5月12日。

『満佐喜〔まさき〕』という名の旅館に泊まっていた阿部定と吉蔵の何気ない会話。

 

「首を絞められるのは気持ちいいんだってね」と吉蔵。

「じゃあ絞めてみて」と返す彼女。

 

吉蔵は彼女の首を絞めようとするも、「かわいそうだからイヤだよ」と言ってやめてしまった。今度は交替して彼女が吉蔵の首を少し絞めると、「よせよ、くすぐったい」と吉蔵は軽く流した。

 

このころから彼女は吉蔵を独占したいと考え始めており、結婚していない吉蔵を自分だけのものにするためには殺すしかない、という危険な心理状態へと陥っていく。

 

5月15日。

阿部定は、買ってきた肉切り包丁を、泊まっている部屋の壁にかけてある額縁の後ろに隠しておいた。このときには既に吉蔵を殺す決心をしていたと思われる。

 

5月17日。

吉蔵が言う。

「かよ(偽名)、オレはおまえのためならいつでも死ねる。今度 首を絞めるときは、いっそそのまま絞めてくれ。ひと思いに殺してくれ」

 

 

事件当日~遺体発見

 

1936年(昭和11年)5月18日、早朝6時ごろ(午前2時との説あり)、阿部定は、寝ている吉蔵の首に紐を回し、ありったけの力で絞め上げて殺害した。

 

だが、まだ吉蔵は自分だけのものにはならない。あの部分を自分だけのものにしてしまいたい・・・と考えた阿部定は、隠しておいた肉切り包丁を取り出すと、吉蔵の男性器―『棒』『玉』もろとも切断し、雑誌の表紙に包んで懐へしまいんだ。

 

さらに、彼女は吉蔵の血液を指につけると、吉蔵の左の太股に『定 吉二人』と、また、敷布団にも『定 吉二人きり』と書き、さらに左腕には『定』という文字を包丁で刻みつけた。

 

そして彼女は、「よく寝ているので午前中は起こすな」と言い含め、旅館をあとにする。

 

『ちょっと買い物』のはずが、なかなか戻らない女。午後になっても起きてこない男。不審に思った旅館の女中が部屋を訪ね、吉蔵の遺体を発見するのである。

 

東京市(現在の東京都)荒川区の待合旅館『満佐喜〔まさき〕』の2階にある『桔梗〔ききょう〕』の間(『さくらの間』との説あり)。

 

吉蔵は全裸で布団の上に横たわっていた。死因は首を絞められたことによる窒息死であった。何より特殊だったのは、男の男性性器が根元から切断されていた点である。切断された性器はその部屋からは発見されなかった。

 

警察は間もなく、消えた女『田中かよ』の本名が『阿部 定』であることを突き止める。

 

 

阿部 定、逮捕

 

5月20日。

阿部定は事件後、吉蔵が事件当時に身に着けていた褌〔ふんどし〕を腰に巻きつけ、シャツ、ステテコ、さらに吉蔵の血で汚れた腰巻きを身に着けて逃亡していた。

 

これらの証拠物件は、1947年(昭和22年)に警察が行なった犯罪防止キャンペーンの防犯博覧会で、ホルマリン漬けの吉蔵の男根と共に一般展示されたことがあるそうだ。何ともえげつない話であるが。

 

<関連記事>

5月28日――阿部 定〔あべ・さだ〕の誕生日(明治38年)

 

 

 阿部定は精神鑑定の結果、『残忍性淫乱症(サディズム)』と『節片淫乱症(フェチズム)』と判定されたらしい。専門家でなくても判るよね。くすっ。

 

 

阿部 定の その後

 

●1936年(昭和11年)11月24日 初公判で懲役6年が確定

●1941年(昭和16年) 『紀元2,600年』を理由に恩赦を受け5年の服役の後に出所

●1947年(昭和22年)9月8日 『昭和好色一代女 お定色ざんげ』をめぐり、著者と出版社を相手取って名誉毀損で告訴。このころ埼玉県でサラリーマン男性と結婚(事実婚)をしていたが、男性は自分の妻が阿部定だと知り、疾走している

●1949年(昭和24年) 自らが主人公となって阿部定事件劇『昭和一代女』を演じた

●1954年(昭和29年) 浅草清島町の料亭『星菊水』(現在この店は無いらしい)の社長が、彼女を客寄せパンダにしようと、10万円の前金(現在の300万円に当たる)でスカウトされる。月給は他の仲居の5倍だった

●1955年(昭和30年) 久遠寺山梨県身延町)に吉蔵の永代供養を依頼。阿部定が依頼したとされる

●1958年(昭和33年) 『星菊水』での精勤が認められ、東京料飲同志組合から有料従業員として表彰される

●上野の国際通りにバー『クィーン』を開店。半年ほどで閉店している

●1967年(昭和42年) 62歳のとき、台東区竜泉でおにぎり屋『若竹』を開業

●1969年(昭和44年) 63歳のとき、映画『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』に出演。事件の真実を伝える映画にするとの約束の上だった

●1970年(昭和45年)3月 『若竹』から忽然と姿を消している

●1971年(昭和46年)1月 65歳のとき、阿部定を丸山忠男に紹介した実業家・島田国一と浅草で偶然の再会。千葉県市原市の『勝山ホテル(現在は廃業)』で働くことに

●同年6月 『リウマチを治療する』旨の置手紙を残し失踪

●1974年(昭和49年) 前後の3か月間、浅草の知人が営む旅館でかくまわれていたとの証言あり

●1987年(昭和62年) 吉蔵の命日には必ず久遠寺に届けられていた花束が、この年から贈られなくなる。死亡説あり

●2015年(平成27年) 現在、生きていれば110歳。今なお『若竹』の未納税金があるとされる